ごあいさつ
このウェブサイトでは「キリスト教風合い界」に焦点が当てられている。キリスト教風合い界とは、聖書や教会史、そして様々な宗派に関する知識の固まりを持つ人々から成る世界であり、ここで言う世界は、法曹界、医学界等の分類としてのものである。このキリスト教風合い界を代表する人間は、意識的に実際の信仰生活や日々の歩みとの距離を保つ、とりわけキリスト教系大学の神学教授らである。なぜなら彼らは中立的且つ批判的でいるべきと考え、さらに他宗教家との論じ合いを重要視すべきであると思い込んでいる。
当「教会警鐘」ホームページは、キリスト教系教会や団体の内に自らの霊的拠り所を探している人、或いは、既に見つけたと思っている人に宛てた真剣な呼び掛けとその裏付けである。
筆者は誤解のない言葉をもって教会構造の内側を表現することを決心した。筆者は自ら見聞き経験したことを語っている。包まずに現状を表現するこの酸味ある言葉はまさに、真実追求の痛みを表す色を帯びたバラのようである。
筆者平元(ヘイゲン)巌はクリスチャン家庭で生まれ育った。両親はプロテスタント福音派の牧師であり、筆者自身は大学での神学の学問を終了した後、スイス改革派国立教会に任職された牧師であった。彼の弟もその前半は同じ道を進み、追加で博士号を取得した後、日本のある大学にて神学の教授となっている。
漂流罪状の内容に取りかかる前に御言葉に耳を傾けていただきたく、次の内容を紹介したい。
ヨハネの黙示録には、人類史の最後に起こる世界規模且つ甚だしい変革をもたらす出来事について記されている。多くの例えが用いられているため全てを把握することは難しいが、今この最後の時代に生きていること、及び、ゆえにこそ、この書物の詳細を注意深く扱うべきであることを我々は確信している。
第12章には、予期せぬ突然の出来事について予言され、それがキリスト教の世界において(同章17節)起こること、すなわち赤子の誕生であることが記されている。この全く新しい命の芽生え(黙示録12章2節)に際して老いたキリスト教世界は、御神の命の戒めを離れてしまったために大変な苦しみと陣痛を経験する。その赤子は男の子である ― そして、彼の活動範囲は政治分野をも含む。
当ウェブサイトの読者の皆様。あたな方に告げるこの新しい出来事が聖なる書に記されていることを、我々は確信している。すなわち、新しい命が母体を離れることを出産が意味するように、これはキリスト教世界の様々な教会を離れることが霊的に生き延びる道であることを示す内容である。なぜなら、御神の明確な御言葉からそれ、多くの分野においてバベルとなっているそのキリスト教世界の過ちと罪に我々は加担してはならないのである。黙示録第18章4節、エレミヤ第51章6節、同51章45、46節に記載のとおり。
当ウェブサイトの中心テーマはそれでもなお、いや、苦い現実のゆえに、無数の誤解によって何百年にも亘り埋もれていた真の一体性への道(ヨハネ第17章)である。そして、いかなるバベル行為からも身を遠ざける人々のために、今ついに、最も明確に全世界の話題となる。我々はこの道を「 INTRODOS (イントロドス)」(エレミヤ第16章14、15節及び同第23章7、8節)と呼ぶ。
文字通り、ちりと灰の中で後悔し、赦しを乞うべき「代表者ら」に最大の責任がある。それでもなお、これらの内容への真剣な取り組みは全ての「一般信者」に、硬直した組織の骨組みから離れ関係を絶つことが霊的生命を保つ条件であることを強く確信させるのである。地方によって教会やグループ同士に違いがあることは言うまでもないが、後述の内容がいずれも非常に重要であるからこそ、仮にその一項目にしか該当しないとしても、後悔とイントロドスに踏み入るようにとのこの呼びかけは正当である。